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2021年11月22日
第47回ネット歌会詠草/8
能面の写真刷られし絵葉書をようやく使う督促のため
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posted by 短歌人会 at 00:17|
Comment(7)
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この記事へのコメント
どのような能面かによって印象が違ってきます。
普通に考えると、督促であれば般若でしょうが、神の面、女性の面それぞれに怖さがあります。
能面の種類を特定していないことは、読者の想像に委ねるという作者の選択かと思います。
かなり辛抱強く待った結果、状況に進展が見られない。静かな怒りがひしひしと伝わってまいります。
Posted by 光本博 at 2021年11月26日 12:16
能面の写真の絵葉書を、督促のためここぞと使う……
「ようやく」は、使う機会がなく秘蔵していた絵葉書を使うということであり、また最後の手段ということでもあるのでしょう。
絵葉書になるくらいですから、博物館に展示される国宝クラスの面かもしれませんね。
能面の種類は想像するしかありませんが、督促相手に怒りと能面の写真から受ける気味の悪さを伝えることになるのでしょう。後ろめたく思っている相手に対して効果的かもしれません。
Posted by 庭鳥 at 2021年11月27日 10:38
絵葉書が、何か意味ありげな絵画とか写真であれば、受け取った側としてはその意味を考え悩んでしまいます。
督促の絵葉書にある能面を想像すると、やはり「般若(鬼女)」だと思いますが、般若には怒りだけでなく、鬼になってしまった女性の悲しみや苦しみが隠されているそうです。
催告書ではないものの、金銭の支払いを求める「督促」であるので、かなり深刻な状況だと思います(督促状にハガキを使うことはあまりない)。
この一首では主体が、督促のために封書でなく絵葉書を使っていること、また、下句の「ようやく使う」で能面の絵葉書であることが必ずしも必須でなかったような気持も感じとれて、主体の深刻度合いがややゆるめられているように思います。
それは、相手に対する主体の気遣いであり、相手との距離感に配慮しているようにも感じられ、私には、主体の正直な気持ちを感じとれる一首でした。
Posted by 肥塚しゅう at 2021年11月30日 14:42
能面の写真刷られし絵葉書をようやく使う督促のため
倒置法が気持ちよく決まったうまい歌だと思います。
「能面の写真刷られし絵葉書」と上の句いっぱいを使ってモチーフを説明し、それを「ようやく使う」(今まで使わずに取っておいたわけだ)。その理由が「督促のため」と結句で明らかにされるわけですね。読者はそこで驚くとともに「なるほど」と納得する。
「能面」がどのようなものかは読者の想像に委ねられていいんじゃないでしょうか。(音数の問題もありますが)たとえば「般若」だとしたら「督促」とつきすぎてしまって切れ味をやや殺いでしまうように思います。
Posted by 寺阪誠記 at 2021年12月04日 15:50
>たとえば「般若」だとしたら
たとえば「般若」だと初句で言ってしまったら
の意です。
Posted by 寺阪誠記 at 2021年12月04日 15:56
面白い歌でした。
4句の「ようやく」が、いいです。
以下は、感想です。
結句で、ネタバレ的になってしまっているのが、少しもったいないなあ、という感じがします。倒置になっていますので、結句でかなり見得を切った構成になっています。
何かしらの催促を能面の絵葉書に書いて送った、と句切れなく一文で韻文にした方が、能面の絵葉書という面白いモチーフが一首で生きるように思いました。
ただし、そうなると、歌の力点が「催促」から「能面の絵葉書」に代わってしまうので、余計な意見といえばそうです・・・
Posted by 桑原憂太郎 at 2021年12月10日 20:14
「能面」を「般若」にすると、作者の意図が突出し過ぎるとおもいます。
「刷られし」と「ようやく」はない形の方がいいとおもいます。「ようやく」は副詞です。一般的に、形容詞と副詞と副助詞は、短歌の一首の中で、頻度として、マイナスに働く場合が、ある程度あります。それらの語自体に、作者の意思やおもいや判断が、ニュアンスとして含まれているので、そのことが一首の中で強く出過ぎる傾向があるのだとおもいます。
この歌の場合も、副詞の「ようやく」が強すぎるようにおもわれます。それに、無くても、そのニュアンスは、ある程度含まれているとおもいます。強くではありませんが。
Posted by 山寺修象 at 2021年12月17日 10:01
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「ようやく」は、使う機会がなく秘蔵していた絵葉書を使うということであり、また最後の手段ということでもあるのでしょう。
絵葉書になるくらいですから、博物館に展示される国宝クラスの面かもしれませんね。
能面の種類は想像するしかありませんが、督促相手に怒りと能面の写真から受ける気味の悪さを伝えることになるのでしょう。後ろめたく思っている相手に対して効果的かもしれません。
督促の絵葉書にある能面を想像すると、やはり「般若(鬼女)」だと思いますが、般若には怒りだけでなく、鬼になってしまった女性の悲しみや苦しみが隠されているそうです。
催告書ではないものの、金銭の支払いを求める「督促」であるので、かなり深刻な状況だと思います(督促状にハガキを使うことはあまりない)。
この一首では主体が、督促のために封書でなく絵葉書を使っていること、また、下句の「ようやく使う」で能面の絵葉書であることが必ずしも必須でなかったような気持も感じとれて、主体の深刻度合いがややゆるめられているように思います。
それは、相手に対する主体の気遣いであり、相手との距離感に配慮しているようにも感じられ、私には、主体の正直な気持ちを感じとれる一首でした。
倒置法が気持ちよく決まったうまい歌だと思います。
「能面の写真刷られし絵葉書」と上の句いっぱいを使ってモチーフを説明し、それを「ようやく使う」(今まで使わずに取っておいたわけだ)。その理由が「督促のため」と結句で明らかにされるわけですね。読者はそこで驚くとともに「なるほど」と納得する。
「能面」がどのようなものかは読者の想像に委ねられていいんじゃないでしょうか。(音数の問題もありますが)たとえば「般若」だとしたら「督促」とつきすぎてしまって切れ味をやや殺いでしまうように思います。
たとえば「般若」だと初句で言ってしまったら
の意です。
4句の「ようやく」が、いいです。
以下は、感想です。
結句で、ネタバレ的になってしまっているのが、少しもったいないなあ、という感じがします。倒置になっていますので、結句でかなり見得を切った構成になっています。
何かしらの催促を能面の絵葉書に書いて送った、と句切れなく一文で韻文にした方が、能面の絵葉書という面白いモチーフが一首で生きるように思いました。
ただし、そうなると、歌の力点が「催促」から「能面の絵葉書」に代わってしまうので、余計な意見といえばそうです・・・
「刷られし」と「ようやく」はない形の方がいいとおもいます。「ようやく」は副詞です。一般的に、形容詞と副詞と副助詞は、短歌の一首の中で、頻度として、マイナスに働く場合が、ある程度あります。それらの語自体に、作者の意思やおもいや判断が、ニュアンスとして含まれているので、そのことが一首の中で強く出過ぎる傾向があるのだとおもいます。
この歌の場合も、副詞の「ようやく」が強すぎるようにおもわれます。それに、無くても、そのニュアンスは、ある程度含まれているとおもいます。強くではありませんが。