2021年11月22日

第47回ネット歌会詠草/10

光秀の思ひはいかに墓石の混じる石垣作りし頃の
posted by 短歌人会 at 00:15| Comment(3) | 第47回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
石垣に墓石が混じっているのは、珍しいことなんですね。
そうした珍しい、そして、墓石なので、不吉というか、そんなもので石垣を作っていた頃の光秀の思いはいかばかりか、と、主体が思索しています。
光秀も、墓石が混じっているなんて知らなかったんでしょうか。それとも、知っていて、作ったんでしょうか。そんなことを、私も、主体のようにいろいろと思ったのでした。
Posted by 桑原憂太郎 at 2021年12月02日 20:06
多分、福知山城の転用石を詠われたものだと思います。
福知山城へは行ったことがありませんが、光秀の主人であった織田信長の居城の安土城に行った時、たくさんの転用石が使われているのを見ました。天守の跡地に登って行く途中に転用石であることを示す説明板が埋められていたのを思い出します。
この時期、福知山城以外にも転用石が使われたお城があり、石が足りなかったから、とか、威信を誇示するためとか、色々な説があるようです。
安土城も福知山城も似たような時期に建てられているので珍しいことではなかったのではないでしょうか。
光秀がどう思っていたかは想像もつきませんが、姫路城の石棺の転用石もインパクトがあって、その頃の人に聞いてみたいと思いますね。
多分、光秀は転用石を使っていることは承知の上だろうと思います。でないと、天守の一番目立つところには置かないと思いますので。
Posted by 鎌田章子 at 2021年12月02日 22:10
桑原さん、鎌田さん、コメントありがとうございました。
福知山の石垣のことでした。
信長に命じられ急いで築城しなければならず、墓石やら何からまでかき集めたそうです。
教養人であった光秀の本当の気持ちはどうだったのだろうと思いました。

福知山にははるばる行ってお城も行ったのに、転用石にも気がつかず惜しいことをしました。
城下町の町並みや銘菓を買うのが目的で、石垣をじっくり見ていませんでした。
Posted by 海野 雪 at 2021年12月22日 12:40
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]