この記事へのコメント
ボクシングのような夫との会話とはお互い議論を吹っ掛け論理的に打ち負かすまでやめないような会話でしょうか?
そこまで会話ができる関係をすごいなと思いつつ、いつもそなん緊張感で暮らしたら疲れるとも。
そんな暮らしにも慣れた作者だから以前は飲めなかったブラックコーヒーも飲めるようになったということですね。
ブラックコーヒーよりもボクシングの例えのインパクトが強烈です。
Posted by 海野 雪 at 2021年12月01日 15:33
ボクシングのような会話というのは、結構過激です。プロレスだったら、同じ格闘技でも、娯楽として予定調和的な感じがしますが、ボクシングは殴り合いですので、気を抜くとノックアウトされてしまいます。なかなか凄い夫婦ですが、そんな会話にも慣れたところで、コーヒーはブラックで飲めるといいます。
ボクシングのような会話と、ブラックのコーヒーとの取り合わせを愉しむ歌と解釈し、そのように鑑賞をしました。

Posted by 桑原憂太郎 at 2021年12月03日 20:02
ボクシングのような夫との会話にも慣れ珈琲はブラックで飲める

「ボクシングのような」という直喩で私も最初は激しい打ち合いのような会話を想像しましたが、「珈琲はブラックで飲める」というスマートな歌いおさめ方を見て、ひょっとするとジャブで牽制し合うようなテクニシャン同士の一戦をイメージした方がいいのかな、と思い出しました。この読みが定まらないところは弱点かな、と思います。ブラックコーヒーに作者(作中主体)の心情を仮託していて、もはや甘い生活を夢見たりはしない、ということかと思います。結句を「飲む」ではなく「飲める」にしたのは「夫との会話にも慣れ」たので「飲める(ようになった)」という主体の変化を盛り込もうとして選んだ言葉だと思いますが、韻律としては「飲む」でぴったり収めた方がいいかな、という気もします。
Posted by 寺阪誠記 at 2021年12月04日 16:23
海野さん、桑原さん、寺坂さん丁寧なコメントありがとうございます。作者の馬渕です。

日常の夫婦の思考の違いに、どちらも頑固でゆずらない場面を捉えたものでした。
議論というほど大げさなものではなかったのですが、ボクシングという喩えがそんなふうに読めてしまいますね。参考になりました。
Posted by 馬淵のり子 at 2021年12月18日 16:29
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