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第47回ネット歌会詠草/18
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第47回ネット歌会詠草/16
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2021年11月22日
第47回ネット歌会詠草/17
ひとり鍋食べつつおもふさよならを言へる別れのふかき幸ひ
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posted by 短歌人会 at 00:08|
Comment(7)
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第47回歌会
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この記事へのコメント
一人鍋を食べているのは連れ合いをなくした方なのでしょうか。
私の友人は心筋梗塞で連れ合いを亡くし、別れをいういとまもない別れでした。お悔やみの言葉も思い浮かばないほどの悲嘆だったのを覚えています。
私は夫を癌で亡くしました。最後まで意識がはっきりしていので有り難うが言えました。
作者が連れ合いにさようならを言えたかどうかは分かりませんが、私が有り難うと言えた別れに感謝しなければならないなと、この歌に気付かされました。
Posted by 鎌田章子 at 2021年11月27日 21:37
大切な人を亡くした主体が、さよならを言えたことだけでも幸せに感じようとしている前向きな意味にとりました。たとえ言えなかったのだとしても「ふかき幸ひ」という結句にはどこか実感が込められているような印象を受けるので、言えなかったことを悔いているというよりは自分にとっての幸せを新たに探し始めているのではないでしょうか。
鍋料理は他者と「囲む」ことが前提となっている分、「さよなら」「別れ」がとても胸にきます。旧仮名が醸し出す美しさも相まって、故人と鍋をつついた大切な記憶がこの歌に詰まっているように感じます。
Posted by 野崎挽生 at 2021年12月03日 11:27
突然やってくる人の死に、感謝も別れも告げられず後悔することは多いでしょう。死に近い誰かに付き添うのは辛いでしょうが、それでも感謝を伝えることはできる。自分には前者の経験が多いので、この歌はしみじみと身に沁みました。
野崎さんもおっしゃるように鍋は通常複数の人でつつくものとして、作者は独りで食事をとる暮らしをしていることが読み取れます。死者と対照的に、温かいお鍋でお腹を満たす生きている自分、という構図もあるのかなと思います。
Posted by 亀尾美香 at 2021年12月04日 23:17
ことば運びやゆったりとした文体にこころはひかれる短歌です。漢字とかなの使い分けも上手いとおもいます。
僕の勝手な推敲ですが「言へる」を「言へし」に、「幸ひ」を「さいはひ」に換え、「おもふ+ふかき幸ひ」で少し言い過ぎ感があるので「ふかき」はない形にしたいなあ、とおもいました。「ふかき」は、なくても、この歌の場合は、そのニュアンスは短歌の中に含まれているとおもいます。
(もっと丁寧に長く書いたのに誤操作で2度消えてしまったので、端折って書いてすみません。)
Posted by 山寺修象 at 2021年12月15日 15:51
山寺さんのおっしゃる通り、たしかに過去なのだと思いますが、過去にしたくない思いがあるのだと思います。
私はまだ過去に出来ていないので。
「ふかき」がなくても伝わると思います。が、これも作者が本当に言えてよかったなあと実感していらっしゃるのだと感じました。作者の自身の気持ちを優先してよみたいと思いました。
歌の作る場合、良い歌の部類にはならないかもしれませんが、感情を優先しない方が良いのだとは思いますが、私にはとても共感できる歌でした。
Posted by 鎌田章子 at 2021年12月16日 09:16
ひとり鍋食べつつおもふさよならを言へる別れのふかき幸ひ
余命を告げられターミナルにある近しい人を思いながら、お見舞いから帰り家でひとり鍋を食べる歌、と読んでいました。つまり、(詠った時点では)本当に現在なのだ、と。
理由はやはり「言へる」と現在形だからなのですが、「さよならを言へる別れ」を一般化した形なのかもしれないなとは思います。
幸いも深く、また哀切も深く、どこか強さを感じさせる歌だと読んでおりました。
Posted by 橋小径 at 2021年12月17日 11:53
作者の吉浦です。
さまざまにコメントいただきありがとうございました。
学ばせていただきました。
「さよならを言へる別れのふかき幸ひ」は、ある意味、一般論です。
ある意味と書きましたのは、特定の別れを指していないからです。
さよならを言えなかった別れがここ数年何回かありました。
それと「鍋をつついた」記憶も重なります。(さよならを言えなかった人すべての鍋をつついたわけではありません)
これは一首では到底わからないことですが、牧師として、いろいろな死と向き合ってきたところからの感慨もあります。
特定の過去として作った方が歌としては立つのかもしれません。
Posted by 吉浦玲子 at 2021年12月21日 08:42
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作者が連れ合いにさようならを言えたかどうかは分かりませんが、私が有り難うと言えた別れに感謝しなければならないなと、この歌に気付かされました。
鍋料理は他者と「囲む」ことが前提となっている分、「さよなら」「別れ」がとても胸にきます。旧仮名が醸し出す美しさも相まって、故人と鍋をつついた大切な記憶がこの歌に詰まっているように感じます。
野崎さんもおっしゃるように鍋は通常複数の人でつつくものとして、作者は独りで食事をとる暮らしをしていることが読み取れます。死者と対照的に、温かいお鍋でお腹を満たす生きている自分、という構図もあるのかなと思います。
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「ふかき」がなくても伝わると思います。が、これも作者が本当に言えてよかったなあと実感していらっしゃるのだと感じました。作者の自身の気持ちを優先してよみたいと思いました。
歌の作る場合、良い歌の部類にはならないかもしれませんが、感情を優先しない方が良いのだとは思いますが、私にはとても共感できる歌でした。
余命を告げられターミナルにある近しい人を思いながら、お見舞いから帰り家でひとり鍋を食べる歌、と読んでいました。つまり、(詠った時点では)本当に現在なのだ、と。
理由はやはり「言へる」と現在形だからなのですが、「さよならを言へる別れ」を一般化した形なのかもしれないなとは思います。
幸いも深く、また哀切も深く、どこか強さを感じさせる歌だと読んでおりました。
さまざまにコメントいただきありがとうございました。
学ばせていただきました。
「さよならを言へる別れのふかき幸ひ」は、ある意味、一般論です。
ある意味と書きましたのは、特定の別れを指していないからです。
さよならを言えなかった別れがここ数年何回かありました。
それと「鍋をつついた」記憶も重なります。(さよならを言えなかった人すべての鍋をつついたわけではありません)
これは一首では到底わからないことですが、牧師として、いろいろな死と向き合ってきたところからの感慨もあります。
特定の過去として作った方が歌としては立つのかもしれません。