2021年11月22日

第47回ネット歌会詠草/18

冬の陽をこころゆくまで浴びてをり二時間遅刻の途上にわれは
posted by 短歌人会 at 00:07| Comment(6) | 第47回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「二時間遅刻」ということは、出発時点で既にちょっと急いだくらいでは間に合わない事情があったのかなと思います。
日常にたまにある、ぽっかり空いたエアポケットのような時間。
場所は特に描かれていませんが、私は何となく人のまばらな鈍行列車を思い浮かべました。
「こころゆくまで」というひらがなの表現が素敵だと思いました。
Posted by 伊藤まり at 2021年11月27日 22:00
伊藤さんと同じく、私も人のまばらな電車の中の情景として読みました。
二時間という取り返しのつかない遅刻をしているとはいえ、電車に乗って運ばれている間は急いでも仕方ありません。かといって待たせている相手のことを考えると、なんとなく本を読んだりするのも気が引ける。そんな中できることは、窓から差す冬の陽を<こころゆくまで>浴びること。もしかすると着いた先で相当な叱責を受けるかもしれない、力の限りの謝罪が必要かもしれない、そのように考えると現地で消費するであろうエネルギーを充電している光景ともとれます。
<二時間>というのが非常にリアリティがありますね。もう少し短いとむしろ焦りの気持ちが強くなる気がするし、長いと目的地へ向かう理由が読み取りにくくなる。遅刻で失敗した過去を思い出し、やるせない気持ちになるほどに共感いたしました。
Posted by 野崎挽生 at 2021年12月05日 22:54
下句に意外性があって、たいへん面白く鑑賞できました。

2時間遅刻して、まだ、途上なんだから、着くのはいったいいつになるのでしょうね。

そうなると、もう開き直って、こころゆくまで浴びるという心情に至ったということであり、なかなか現実的というか、説得力がありました。

倒置にする必然性のある作品で、定型にもキチンとおさめて、形式も整っていると思いました。

Posted by 桑原憂太郎 at 2021年12月07日 19:59
とても好きです。
冬の陽がさしてくることで、こころゆくまでそれを浴びていることで、二時間という大遅刻も決してわれのせいではないという感じが表現されていて(これはこの人がそう思っているという意味ではなく)とてもいいと思いました。
Posted by 国東杏蜜 at 2021年12月14日 22:23
とても好きな一首です。
前評者の方々も触れていますが、「二時間」がとてもいいと思いました。朝の通勤時間帯の混雑から四時間だったら、またお昼の混雑に突入してしまいますが、二時間というとちょうどその中間ののんびりした時間帯が感じられます。伊藤さんの書かれている「ぽっかり空いたエアポケットのような時間」ですね。日常からはみ出た恩寵のような時間で、上の句も共感できます。
Posted by 加藤隆枝 at 2021年12月22日 00:11
(ロスタイムになってしまいましたが)
伊藤様、野崎様、桑原様、国東様、加藤様
コメントをいただき、ありがとうございます。

やむを得ない事情により、冬晴れの平日午前中に田園風景の中でママチャリを漕いでいたとき、するすると出てきた歌を多少推敲したものです。
会社には遅れることは了承してもらっていたのですが、本来ならば少しでも急いだ方がいいところ、あまりにも牧歌的な雰囲気の中で、世の中の時間の流れから切り離されたような、とても自由な気持ちになった体験を詠んでみました。
伊藤さんの「エアポケットのような時間」は言い得て妙ですね。
この空気感が読者に伝わったなら幸いです。
Posted by 寺阪誠記 at 2021年12月24日 13:27
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