どのように読んでいただいても嬉しい歌ですが、出発点は鎌田さんのおっしゃるように毎朝のお燈明でした。燈心は火をつける際、まるで一瞬は灯ることを嫌がるかのようにしているのに火が付いたら消すまで静かに燃えています。(どうでもいいのですが消し方もうまくなりました) ローザ・ルクセンブルクが"Eine Kerze, die an beiden Enden brennt."(両端から燃える蝋燭でありたい)という言葉を残していますが、初めて聞いた時は「火事になるよ!」って思ったけど意外とひたひた燃えているのかもしれません。
そういう生きていく上での機微といいますか、バランス感覚を発揮するのは非常に難しいことだという思いの喩として興味深く拝読いたしました。
まずは「燈心」という言葉の風情に惹かれます。
そして、下句の「燃えねばならず燃えてはならぬ」にハッとさせられます。
簡潔かつ抑制のきいた表現で、燈心の持つ本質的な性格が言い当てられています。
文面どおりの意味でも面白く、人生の匙加減のむずかしさの暗喩としても味わい深いと思いました。
(個人的には、例えば何らかのプロフェッショナルが常に情熱を持ちながらも冷静に活動する姿を思い描きました)
この歌を読んで、まさしくこの通りだと感じました。
蝋燭が爆発もせず燃え尽きるまであかりを灯し続けることは燈心と蝋との絶妙の働きによるもの。ルチーン作業だった朝のお参りもちょっと目線を変えてみようと思いました。
この歌は人生にも通じる読みができますね。
両方の取り方ができるのが、皆さんの心に響いたのだと思いました。私の師が、叙景歌であっても人間の心を映すことが出来ると言っていました。そのような歌を作りたいと思いつつ、なかなか出来ないのが残念です。
燈心は火を燃やすためものでありながら、自らが燃えてはいけないものである、という「発見」が手柄の一首だと思います。燈心のことを言いながら、読者は自ずとそこに人間のあり方を思わずにはいられない。そういう深みのある歌なんですが、「実にむずかしく」の「実に」や、「燃えねばならず燃えてはならぬ」の調子の良さにどことなく芝居がかった感じがあってユーモラスな雰囲気を醸し出しています。なので、内容は深みがあるんですが、それが重々しくはなっていない、そんなところも良い歌だなあと思いました。
どのように読んでいただいても嬉しい歌ですが、出発点は鎌田さんのおっしゃるように毎朝のお燈明でした。燈心は火をつける際、まるで一瞬は灯ることを嫌がるかのようにしているのに火が付いたら消すまで静かに燃えています。(どうでもいいのですが消し方もうまくなりました)
ローザ・ルクセンブルクが"Eine Kerze, die an beiden Enden brennt."(両端から燃える蝋燭でありたい)という言葉を残していますが、初めて聞いた時は「火事になるよ!」って思ったけど意外とひたひた燃えているのかもしれません。
これからもどうぞよろしくお願いいします。