2022年02月08日

第48回ネット歌会詠草/6

焼鳥は本と数えて焼肉は皿と数えて体は肥えてく


【選歌集計結果=3票】
【投票者=木村昌資/光本 博/村田 馨】
posted by 短歌人会 at 00:21| Comment(5) | 第48回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
焼き鳥も焼肉も大好きで、それぞれ何本また何皿食べたのか分からない。おかげさまで太ってしまったけれど……という自虐を含んだユーモアの一首として評価いたしました。

多少食べ過ぎでもご自分が楽しければいいのではないかと思います。

結句の「体は肥えてく」という表現が独特で、またあまりなじみのないもので気になりました。
おそらく完全口語で詠んでおられる方で、ご自身が普段しゃべっているように詠むとこのような表現になるのかもしれません。

私が同じ題材で詠むのであれば

焼鳥は本と数えて焼肉は皿と数えてからだ肥えゆく

のようにしたと思います。余計なお世話かもしれませんが。
Posted by 光本博 at 2022年02月13日 19:29
素直に面白い。単位を詠みこんだ歌としては吉川宏志の
秋の雲「ふわ」と数えることにする 一ふわ二ふわ三ふわの雲
が思い浮かんだ。本作はストレートな切り口だが、焼き鳥も焼き肉も、どちらも旨い。カロリーが高いということで、結句に導くには適切な素材だと思う。
Posted by 村田馨 at 2022年02月28日 02:53
串や、お皿の前で至福の様子の作者が浮かんできます。しかし、それには代償が・・・
身につまされた一首です。
Posted by 木村昌資 at 2022年02月28日 11:01
焼鳥は本と数えて焼肉は皿と数えて体は肥えてく

書かれている情報は断片的で、因果関係も明確ではないんですがストンと落ちるものがあり、面白い歌です。
つまり「食べた」ということはどこにも書かれていないんですね。でも、この一首を読むと、食べ終えた焼き鳥の串と重ねられた空き皿を目の前にして恍惚、呆然としている主体が目に浮かびます。こうした断片的な情報から一首の背後にあるストーリーを想像させる、ふくらみのある歌だと思いました。
ただ、焼き肉は「皿」というより「何人前」で数えることが多いかな、とそこが引っかかってしまい、投票には至りませんでした。
Posted by 寺阪誠記 at 2022年03月05日 07:08
光本様、村田様、木村様、寺阪様

コメントありがとうございます。
調理されることで「一匹」が「一串」になり「一頭」が「一皿」になるという単位の変化に着目しました。人間も死ねば一体二体と数えるわけで、その「体」は「一串」「一皿」によって肥えていく、というところまで表現したかったです。

皆様の評を読み、まず体に(たい)と仮名を振るべきだと思いました。
そして、光本さんのご指摘のように「体は肥えてく」という結句はたしかに違和感があり「体は肥えゆく」とするべきだと感じました。文語的に締めることで、一体・二体というニュアンスが伝わりやすくなるのではないか、と思いました。
また、寺阪さんの焼肉の単位のご指摘は正直痛いところをついており、たしかに注文の際には「皿」ではなく「〇人前」というので「皿」という単位は不自然に映ります。〇人前とするとこの歌には合わないので「皿」にしたわけですが、推敲が必要です。
村田さんからは単位を読み込んだ歌を挙げていただき、非常に参考になりました。
至福の様子という情景は歌に残したかったので木村さんのご指摘はうれしかったです。

皆様の評により推敲すべき点が具体的に見えました。ありがとうございました。
Posted by 野崎挽生 at 2022年03月10日 01:07
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]