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こぶだしの京野菜そなふお仏膳亡き母の味いまだつかめず

昆布だしのきいた薄味の京野菜の煮物。
仏壇のお母さまに供えていらっしゃるのでしょう。

秋の初めの京野菜、万願寺唐辛子、それとも茄子でしょうか。
家庭ではありあわせの材料や分量に合わせて目分量で調味しますし、
思い付きで隠し味を加えたりしますから、再現はなかなか難しいもの。
記憶の中の味なら、理想化されてさらに難しいかもしれません。
きっと日々更に美味しくなった煮物を供えておいでなのでしょう。

「供ふ」はここでは連体形「供ふる」と活用して「お仏膳」にかかると思うのですが、
(字数を合わせるために?)終止形で代用する場合もあると聞いたことがあります。
どなたかご教示ください。






Posted by 川上幸子 at 2022年09月07日 12:43
 『短歌の<文法>』(2010刊行、藤井常世著)のなかに、「ゆるむ言葉」として解説されていました。つまり、
 「文語短歌において、音数を守るために、連体形とするところを一音省いて終止形として体言につなげる例がまま見られるが(詠草No.19でいうと、「そなふる」→「そなふ」)、一音抜いてしまって定型音数になったとしても違和感があり、そういう違和感は歌そのものをこわしてしまう「ゆるむ言葉」になる。 一方、最近の口語短歌においては、「飛んでいく」を「飛んでく」、「吸い込まれていく」を「吸い込まれてく」のように、話し言葉のように表現して定型音数に合わせる例もあるが、これも筆者に言わせれば、新鮮で若々しい感じはするものの、やはり日常語=平俗と感じてしまう。」という解説でした。

 川上さんの言われる「供ふる」と連体形にするのが、藤井氏の解説によると正しく、終止形で代用することはあり得ないのでしょう。
 私も、「京野菜そなふる」とする方が違和感がないと思いますが、9音になることをいたし方ないとするのか、或いは違う表現・言葉や語順の工夫などができないかと思いましたが、なかなか難しいです。 文語の文法は過去にすでに決まったものであり、今後変えることができない言葉の法則だと思います。
Posted by 肥塚しゅう at 2022年09月07日 18:29
肥塚しゅう様
「ゆるむ言葉」についてのご教示をありがとうございます。
文語は口語(現代語)とは違って
変更や発展の余地のない、決まった文法をもつということですね。
とても興味深く拝読しました。


Posted by 川上幸子 at 2022年09月12日 06:37
こぶだしの京野菜そなふ御仏膳亡き母の味いまだつかめず

こぶだしの京野菜そなふる御仏膳亡き母の味いまだつかめず
                      西五辻芳子

作者の西五辻芳子です。
川上幸子様 肥塚しゅう様 コメントを頂き有難うございました。
題詠「京」は、なんとか単位「京」で詠みたかったのですが、
どうしても固有名詞しか浮かばず、難儀致しました。
歌評を頂き、歌の本意がつたわり嬉しく思いました。

二句切れでスペースをあけ、仏前で祈る所作にできないものかとも、色々
こころみましたが、字余りになりますが、「御仏膳」にかかる連体形に致しますと
すわりよく歌が安定いたしました。
これからは気をつけますね。有難うございました。

長い日本語の歴史の中で、終止形より連体形のひびきがよく口語で残っていったの
でしょうか。
Posted by 西五辻芳子 at 2022年09月19日 18:07
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