風走る聖夜にひどく寒からむ町猫も立ち尽くすイエスも
【選歌集計結果=4票】
【投票者=生沼義朗/楠 歌恋/庭 鳥/藤原龍一郎】
【投票者=生沼義朗/楠 歌恋/庭 鳥/藤原龍一郎】
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風が強い聖夜にホームを持たない町猫も立ち尽くしているイエスもひどく寒いことだろう、と詠まれています。町猫はかつては野良猫と言われた存在でしょうが、昨今は地域で共同管理していて町猫とか地域猫とか言われることが多いようです。しかし特定のお宅で飼われているわけではないので、聖夜にも屋根の下にはいられないのでしょう。そして「立ち尽くすイエス」がこの歌のポイントで、聖夜という信仰にかかわる夜も、信仰とはかかわりなくひとつのイベントとして聖夜を過ごす者が圧倒的に多いこの国にあっては、イエスはその誕生を祝われることなく、ただ路上に立ち尽くすほかはない、ということなのだろうと読みました。
「立ち尽くすイエス」から〈どの路地もつきかげのみち怖がらずお行きと月のともにゐる道〉(春野りりん『ここからが空』)という歌を想起しました。「ジョルジュ・ルオー『郊外のキリスト』」という詞書が付されている歌です。「寒からむ」とその身を案じている心持ちの主は、風走る聖夜にあってもあたたかい。そうした者たちにとっては、町猫も立ち尽くすイエスも「怖がらずお行き」とうながしてくれている存在なのではないか…というような感想も抱きました。ちょっと読み込み過ぎかも知れませんが。
イエスの生誕は馬小屋だったか、家ではなく外ででしたので聖夜と言っても風が当たる寒い場所というイメージは沸きます。
そして、町猫と言うくらいなので野良猫ほどの厳しい環境ではないにしろ自分の家を持たずどこかの軒先で寒さをしのぐ猫。それを見守る主体の存在にあたたかさを感じました。
この作品は短歌人三月号に提出したもので、歌会期間中に短歌人三月号が届くこととなり、無記名という歌会のルールに反してしまいました。
申し訳ありません。
今後このようなことのないよう十分に注意をいたします。