この記事へのコメント
この歌を読み、かつて仕事で工場を訪れたときに、現場の方から缶コーヒーを奢ってもらったことを思い出しました。機械の中で働く人の束の間の人間らしい表情が自販機とゴミ箱の前にあったことを思いました。コーヒーが労働者の燃料であるならば、残骸はその労働力の残骸でもあり、虚しさが漂います。それはあの場の空気感そのものだと思いました。人の営みへの讃歌だと受けとりました。
Posted by 白井彩子 at 2023年02月17日 13:30
最近はコンビニに行けば挽きたてのコーヒーが飲める時代.缶コーヒーをわざわざ買って飲むにはそのための必然性があるからだろう.
真っ先に思い浮かぶのは勤め人のつかの間の休息を癒すため.デスクワークの人だって缶コーヒーを飲むだろうが,本作での「労働者」には汗を流して働く「肉体労働者」を思わせる.その方が絵になる.缶コーヒーのBossに出てきそうな光景.燃料と残骸という言葉の対比が心を打つ佳作となった.
Posted by 村田馨 at 2023年02月22日 18:19
白井さま、村田さま、コメントをいただきまして誠にありがとうございます。
自社の作業場の裏にあるゴミ箱に、缶コーヒーの空き缶が山のように入っていて、燃料みたいだなと思って歌にしました。ものづくりの現場の空気感を丁寧に読み取っていただき、うれしく思います。
Posted by 伊藤まり at 2023年03月05日 22:42
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