人名よりはじまる記事は訃報かと一瞬思うなりこのごろは
【選歌集計結果=6票】
【投票者=鎌田章子/かわすみ暁/野崎挽生/藤原龍一郎/光本 博/山寺修象】
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ほとんどは年齢的に亡くなってもおかしくない人たちでしたが、とはいってもそれなりに驚きますし、そういうことが続くと、知っている名前が新聞に出ると「もしや」と反射的に思ってしまうものです。
自分が子どもの頃からテレビなどでよく見て知っている著名人もそれなりの年齢になっているし、自分もいい年になったことが認識されるわけです。
世代によって感じ方は違うとは思いますが、個人的にはたいへん共感した一首でした。
昔は思わなかったのに最近思うようになったと言うことは、作者は私と似たような年齢の方なのだろうなと思いました。
訃報が気になる年頃があるのでしょうね。下句の句またがりの後の「このごろは」に実感があります。
そんな個人的習慣もあり、この歌も新聞の記事というよりはインターネット上の記事を題材にしていると読みました。
新聞は見出しと記事がセットで目に飛び込んでくるし訃報欄もあるので一目で訃報と分かるように思います。一方ネットの記事はニュースサイトのトップ画面に横書きの見出しが並んでいるので、理解するまでにちょっとした間が生まれると思うんです。この歌は、その一瞬の間合いに着目しているという点に惹かれました。
他の方も言われているように、死を意識し始めたことにより生まれる間でもあることは同意見です。その上で「このごろは」という結語には、ニュースへの接し方の変化も踏まえられているように感じました。