2023年02月09日

第50回ネット歌会詠草/7

川沿いをずんずん先に行く君と来世では一緒になれない


【選歌集計結果=1票】
【投票者=馬淵のり子】

posted by 短歌人会 at 00:19| Comment(6) | TrackBack(0) | 第50回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
川沿いをずんずん先に行く君と来世では一緒になれない

一首がすーっと入って、過去に自身が体験したかのような不思議な心の動きを感じました。
男女脳の違い、対話がすれ違う、思考の違いなどを考えさせられました。
結句の「一緒になれない」と言い切っているところに、強い意志を感じます。
Posted by 馬淵のり子 at 2023年02月19日 09:49
下の句は、当たり前のことを当たり前に表現していることに意味が込められているのではないかと思います。
三句の「君」は、男性の場合も女性の場合もあり得ると思いますので、どちらを想定して読んでもよいと思います。
むしろ二句の「ずんずん先に行く」が、単に川沿いの情景を見たままに詠んだのかも知れませんが、一方、自身との距離がどんどん離れていく、気持ちも離れてゆきもう戻れないような関係性の経過、さらにそれでも一緒に暮らし続けている、といったような複雑な心情をあらわしているのかもしれません。それが当たり前の下の句に結実しているということなのでしょう。
Posted by 肥塚しゅう at 2023年02月19日 11:15
真淵のり子さん、肥塚しゅうさん、コメントありがとうございます。

琵琶湖の水が瀬田川に流れていったところに「瀬田の唐橋」と言われる橋があります。以前、急にその橋を見てみたくなり、臨月に、出かけたことがありました。
川下の石山寺で夜間参拝が行われていたので、川沿いを歩いていきました。夕暮れに、ボート部の練習風景や、花火大会を待つ人の間を、目的地に向かってずんずん歩く一人の背中を追って、独り、歩きました。
日々の生活の中で、些細なずれを感じるとき、ふと思い出す景色です。

真淵のり子さんが「一首がすーと入って」と書いてくださったのを読み、あの言いようもない悔しさ、悲しさがすーと引いていくような気がしました。
また、「君」は男性の場合も女性の場合もあり得ると書いてくださった男性側のご意見は、少し意外でした。

意識の中で、川は、お盆にナスのおんまを見送るときに祖母が「人は死ぬと三途の川を流れてあの世へいくだ」と言った川につながっていきました。
下の句に、この言葉が良いのか分かりませんでした。字足らずで強い印象が出てしまいそうな気がして「来世で会えるかわからない」というのも考えましたが、人は因縁により会えることは会えそうな気がしたので、より気持ちに忠実なこちらを選びました。「一緒になれないぞ」という戒めを込めて。どんな風に受け取られるのか知りたいところでした。
Posted by 白井彩子 at 2023年03月08日 16:50
馬淵のり子さん 
お名前の字が間違っていました。大変失礼いたしました。
Posted by 白井彩子 at 2023年03月09日 11:12
白井さん、
全く気にしていませんので。
賀茂真淵と同じならなんだか新鮮。
Posted by 馬淵のり子 at 2023年03月10日 10:22
馬淵のり子さん
温かいお言葉に恐縮です。賀茂真淵を存じませんでしたが、ふるさとの浜名湖を詠んだ歌も多いようで、近くなので楽しみが増えました。
春の昼かじるふじに古典に親しむ楽しみを予感しました。
Posted by 白井彩子 at 2023年03月10日 11:56
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