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>ひたすらにリズムだけなる歌を詠み恥づかしくないか自省をこめつ

初句〜4句はどなたかの短歌作品を読んで、そのどなたかに呼びかけているフレーズ、そこでひと呼吸あって結句はそのように呼びかけたわれの呟き、と読みました。4句と結句の間に一字アケがあってもよかったかも知れません。
「ひたすらにリズムだけなる歌」とは、例えば〈とらめふのむらみほとふまくらはるまらうやれゑれまわれめふゑれま〉(坂野信彦)というような作品でしょう。短歌は意味と律の織りなす織物ですが、たいていは、この歌会のような場でも、意味にとらわれすぎていて律がよろしくない、という評が多く出やすいであろうところ、ここではその逆の作品を念頭に置かれているのだと思います。そして「自省をこめつ」ですから、自作にもそうした傾きのものが多いのではないか、とかえりみておられます。
あるいは、こんな自省を言うぐらいに律にウェイトを置いた歌を詠みたい、という願望ないしこころざしを言われているのだろうか、とも思いました。

なお、上記〈  〉内の歌は坂野信彦『深層短歌宣言』より引きました。坂野さんというお方は、意味の成分をできる限りゼロに近づけて律だけを詠もうではないか、それが「深層短歌」だ、という論陣を張られたのですが、その後『まほら』という歌集(*)を残して短歌のシーンから退かれたらしいです。
(*)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1860835242&owner_id=20556102
Posted by 斎藤 寛 at 2023年02月18日 08:57
いろんな読み方があると思いますが、私は、自身の歌についての自戒の一首ととりました。「ひたすらにリズムだけなる歌」を詠んでみたが、あまりにも意味が薄くて「恥ずかしくないか」と自省をこめて自問している情景、だと読みました。
結句の「自省をこめつ」の「つ」(意志的な動作の完了)の時制を含めた取り様がむずかしく、読みがわかれるのかと思いました。
前評者の斎藤さんが引かれた坂野信彦の歌は、古語をふんだんに使った歌だと思いますが、私には意味がさっぱりわかりませんでした。ここまで意味が分からないと、いくら律(リズム)がよくても、共感は得られないのではないでしょうか。少なくとも私には無理です。やはり、その時代の歌であれば意味がかなり薄いとしてもある程度理解できて、そうして律(リズム)を整えることにより良い歌になるのではないでしょうか。難しいですね。
斎藤さんが紹介された坂野信彦の歌集と理論を読んでみたいと思いました。

Posted by 肥塚しゅう at 2023年02月19日 15:23
斎藤 寛さん、肥塚しゅうさん、コメントありがとうございました。歌歴十五六年になりますが、この頃思うことは、五七五七七の定型(リズム)への疑念です。定型・リズムで歌を作っていると嘘っぽい感じがして自分が好きになれません。それだけのことです。それを歌にしてみました。ありがとうございました。 かわすみ暁
Posted by かわすみ 暁(さとる) at 2023年03月08日 12:55
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