忍者ではないが苦無(くない)が書けなくて客を三十分怒らせる
※カッコ内はルビ
【選歌集計結果=1票】
【投票者=川上幸子】
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私も苦無が書けません。調べると、忍者などが使う手裏剣に類する武具で、サバイバルナイフのように色んな用途があるとか。密教法具にルーツをもとめる説もあり、成り立ちからしてマイナーです。
ホームセンターや100円ショップに入ると、さまざまな用途と形状の器具が並んでいて、壁ピン一つ探すにも途方に暮れてしまいます。この客は自分の探しているものを、「ほら、くないのような…」と店員に説明しようとし、それが通じずに苛立っているのでしょうか。
「苦無」という漢字も意味深長ですね。「必殺」の針みたいに一瞬にして敵の息の根を止める殺傷能力を有するのでしょうか。ひるがえって、客に三十分怒られる店員さんは「苦無」どころか「苦有」ですねえ(これも仏教用語めいています)
この客は時代劇マニアなのでしょうか。視野が狭いと言ってしまえばそれまでですが、苦無をツーカーで分かってくれるマニア仲間が減ってきて、孤独を感じているのかもしれません。苦無をきっかけに溢れてきた悲哀を店員にぶつけているのかも…その理不尽さ、不条理性が笑いを誘います。
三十一文字で三分ドラマのように楽しませて頂きました。座布団を一枚どうぞ。
この歌は「?」でした。「苦無」という語の稀少性によりかかりすぎていると思います。仮に「苦無」を知っている読者が読んだとしても(というか、調べればその語義はわかるのですが)、その字が書けなくて客を三十分怒らせるってどういうこと? というのが謎のまま残るのではないでしょうか。
川上さんは店先でのシーンを想定されていますが、そこまで読み込むのは“迎え読み”にすぎるのではないかと思います。
「迎え読み」という用語を初めて知りました。
最近、「読み切れない」という表現も知ったばかりです。
初学者が陥りがちな読み癖をこうして言葉にして頂けると、分かりやすく有難いです。
短歌の鑑賞には客観的・実証的な読解が求められるという事でしょうか。
実は、よりよい表現を目指して批判的な歌評をすることがなかなか出来なくて…
先輩諸氏の歌評には感じ入ることが多いです。
どうぞこれからもご教示ください。ありがとうございます!
ネット歌会は文字だけのやりとりなので、対面の場よりも批判の言葉をきつく感じてしまうことがあるかも知れません。それでも批判は遠慮なく言うべきだと思っています。そして、自作に対するコメントのうち、いただくものと却下するものとの判断がつくようになるのが歌会の効用ではないか、と思います。
かつて僕もあるネット歌会(この歌会ではありません)で、この歌の作者はこんなものを短歌と思っていてはだめだとか言われて、ムッ!としたことがありましたが^^:その後、そのような批判は薬、やたら褒めるだけのコメントは毒(にも薬にもならない?)、と思うようになりました。もちろん、批判ではなく非難、あるいは罵倒とかいうのはアウトですが。
私が地元で参加している歌会では読者は必ず作者に寄り添って評をします。高齢であることがそうさせているのだと思いますが、的確な評を述べるには、浅い知識では難しいと思います。
今更ですが、本格的な短歌を勉強していない私にとっては、定型に言葉を紡いでいる方が楽です。
「歌会こわい」からずっと抜け出せないままでいます。
さて、この歌の作者の立ち位置が私にはわかりません。
仮にホームセンターなどで「苦無」を探しているとして、作者はお客なの?店側の人なの?ここで躓いてしまい歌意が読み取れませんでした。