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>わだち踏みしめ君がおとした文ひろう我くれないにとりのこされる

「君がおとした文」から「落とし文」(公然とは言えないことを手紙にして落としておくもの)を連想しました。歌の中でこの言葉が使われる場合、恋文という意味合いを持たせることが多いのではないかと思いますが、この歌の場合はそうではなくて、別れを告げる手紙だろうと読みました。
「わだち」は君が去って行った跡、従って「くれない」は日の暮れ時の空でしょう。こんな時にひとは歌を詠まずにはいられなくなる、という典型的なシーンが思われます。
気になったのは、「ひろう」は終止形なのか連体形なのか、という点です。意味上は連体形で「我」にかかるのでしょうが、この位置に置かれると終止形のようにも響きます。「我」という語は出さずに上と下をつなぐ、という手もあったかも知れません。
Posted by 斎藤 寛 at 2023年02月16日 08:00
雰囲気と詩情が感じられる一首で、私もはじめは三首選に採ろうと思いました。
しかしながら、よくよく吟味してみると読みが不確かな部分が生じて、よくわからなくなりました。
前評者の斎藤さんのコメントを見て、「なるほどそう読むのか」と一助を得た気持ちになったところです。
全体的にさみしい情景が感じとれますので、私も、「おとした文」は別れを告げる手紙の可能性があると思います。そのうえで、「わだち」と「くれない」のふたつの言葉が、斎藤さんほどきちんととらえられませんでした。
まず「わだち」は、「踏みしめ」ているのだから、物理的な「車輪の跡」と考えざるを得ません。私は、去っていった君の自転車のわだちと考えましたが、どうでしょうか。
また「くれない」は、基本は「鮮やかな赤色」でしょうから、日暮れ時の夕焼け空の赤色ということでしょうが、この作者の心象とはそぐわない色だと感じました。「くれない」という言葉に、「暮れない空、暮れどきの空」という語彙があるかとも思いましたが、探しだせませんでした。
いい歌だと思いましたが、語彙をかんがえると、いまひとつ情景としっくりこないところがあり採れませんでした。
Posted by 肥塚しゅう at 2023年02月19日 10:41
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