この記事へのコメント
作者としては「杜子春」という物語について、簡単に話すつもりが、いざ話始めてみるとあれもこれも外せないとなってしまっているのでしょう。それはそれですごいと思いますが。

それを相手はじっと聞いている。
相聞歌だと思いましたが、相手が内心では「はよこの話終わらんかいな」と退屈に感じているようには思えませんでした。

作者は自分ばかりが長々としゃべってしまい申し訳なく思ったであろうことが伝わってきます。
Posted by 光本博 at 2024年02月22日 01:38
主体と「きみ」のあたたかい関係が感じられて、良いと思いました。あらすじのつもりで話しはじめたものの、あれもこれも外せないと思い、どんどん話が長くなっていく。「きみ」が「しずかに」聞いているというところで、相手がそのような主体の几帳面な性格を好ましく思っているように感じられました。
Posted by 伊藤まり at 2024年02月25日 11:29
「杜子春」には「欲」や「親子の情」など、いくつかの要素が盛り込まれています。今読み返すと教訓的な側面も強いように思いますが、それだけ読者は自然と自身の価値観に照らして考えさせられる物語でもあります。
作者も例にもれず、あらすじを話しながら、つい自己の価値観や感想なども織り交ぜながら話した結果、長くなってしまったのではないでしょうか。それを静かに聞いてくれる「きみ」は、懐深く作者を受け止めてくれる存在なのでしょう。
「杜子春」という具体的な物語の名称がよく効いています。作品名としてなら「杜子春」とカッコ書きにするのが良いではないでしょうか。
Posted by 亀尾美香 at 2024年02月25日 17:42
私の友人にもあらすじの語れない人がいました。あらすじを語ってくれと言っても、あらゆるディテールまで語ってしまい、まったくあらすじになってないのです。私はこういうのにはイライラしてしまう方なのですが、「きみ」はそれを許して(あるいは気にもせず)静かに聞いている。ただ、その「きみ」が誰で「杜子春」とどう繋がるのかが私にはピンときませんでした。そのあたりを表す何かもう一語があってもいいように思いました。
(例えばですが、「きみ」が「子」だったら私にも歌の情景がはっきりと浮かんできます。)
Posted by 花澤孝 at 2024年02月26日 20:29
 杜子春を読み聞かせている相手(きみ)は作者のお子さんだと想像しました。
杜子春が鞭打たれる馬に「お母さん」と叫んでしまうわけですが、物語の核心とこの一首の表現が響き合っている気がします。
作者と(多分)お子さんとの間に静かなかつ濃密な時間が流れているようで素敵な歌だと思います。
Posted by 堀部明兎 at 2024年03月02日 13:16
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