この記事へのコメント
「父と娘」の年齢層が不明なので、読者の想像によって色々な読み方ができると思います。幼児や小学生くらいの娘と比較的若い父親の遊びの場面、経験者の父がバドミントン部の中高生の娘にコーチを付けている…などなど。
私は何故か、けっこういい年齢になった娘とその父を想像してしまいました。小池光に40歳になった娘と凧揚げする、なんて歌もありますから、大人になった娘とバドミントンをする父だっていてもおかしくない。
それで、このバドミントンはスポーツ(競技)というより、レクリエーションとしてやっているんだと思います。シャトルと言わず「羽根」と言うところになんとなくレクリエーション的な緩さがありそうに思います。
レクリエーション、あるいはコミュニケーションの一環として始めたバドミントンなのですが、そこにしばし無言の時間帯が訪れる。もとより真剣勝負ではないのですが、ラリーが続くと両者とも無心・無言となってしばらくバドミントンに打ち込む。
期せずして訪れた無言の時間の奇妙な感じをこの一首から受け取って、面白く感じました。
Posted by 寺阪誠記 at 2024年02月22日 13:15
思春期の娘と父が黙ってバドミントンをしている光景が浮かびました。お父さんが誘い、娘は気が進まないながらもちゃんとお父さんに付き合ってあげている、という感じです。
お互いに話したいことがあっても、父と娘独特の距離感や気恥ずかしさもあって言葉は交わさない。そのかわりに羽根が二人の間を行き来する、という独特な雰囲気をよくとらえていると思いました。
Posted by 亀尾美香 at 2024年02月25日 17:00
娘が小さいころ、この娘と父親はよくバドミントンをしていた。その娘が明日は結婚して家を出ていく。実家に残されたバドミントンのセットを見て、父親が娘を誘う。二人とも何も話さず、ラリーを続ける。二人の間を行き来するシャトルがまるで会話をしているかのよう。万感の思いでシャトルを追う親子、そんなドラマの一シーンが思い浮かぶ歌だと思いました。
Posted by 大野奈美江 at 2024年02月27日 14:22
「物言わず」とも通じ合っている親子関係が「バドミントン」という具体を通して表現されています。バドミントンという運動が孕む競技性にも、親子という関係の機微を絶妙に捉えていると感じます。
Posted by 野崎挽生 at 2024年03月08日 22:41
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