この記事へのコメント
チラシ配りのバイトの人はもらってくれさえすればいいので、こちらの都合など考えていません。両手がふさがっているのだから明らかに迷惑だろうとかそういう斟酌は一切しないわけです。
または、流れ作業で半ば機械化して無意識に手が動いてしまうのかもしれません。
そういうちぐはぐなシチュエーションを面白く描いていると思います。

「マクド」と書いてあるので関西でのことなのでしょうが、もらって損はしない微妙なチラシのチョイスもおもしろい一首だと思いました。

私も以前京都に旅行に行ったときにモバイルルーターを薦められ「いやいや、東京から旅行に来ていてとても持ち歩けませんのでごめんなさい」ということがありました。
それでも手を変え品を変え営業されましたけど、雑談だけで終わらせました。
商魂たくましいなと思いました。
Posted by 光本博 at 2024年02月22日 01:13
「円の会」で関西ではマクドナルドのことをマクドと言うということを知ったばかりですので、光本さんが書かれるように、マクド、と読んで、作者は関西の方かなと思いました。
こういう場面は「あるある」ですね。チラシにティッシュがついていると、両手がふさがっていたりしても私は無理して親指と人差し指だけで受け取ったりします。こういう多くの人が経験しているちょっとしたことは、すぐに意識から消えてしまうので、歌にするのは案外難しいのかもしれません。
Posted by 大野奈美江 at 2024年02月24日 17:07
両手に荷物を持つわれの都合などお構いなしにチラシを配る人の配慮のなさもさることながら、チラシを配る人を人としてではなく、部品の一部であるかのような「右手」として認識しているわれもまた失礼な気がします。ということで、ここはお互い様のような感じで読みました。
心を通わせ合う人間不在の社会の一端を垣間見るような作品に思えました。
Posted by 加藤隆枝 at 2024年02月27日 10:56
「両の手」と「差し出す右手」が上手く連関しています。チラシを撒いているのはおそらくアルバイト、もしくは派遣の方と想像したときに、結局はチラシの捌けた量が重要という立場なのだと思います。配るチラシの多くはゴミになります。行き過ぎた資本主義の現場を捉えた歌と感じました。
Posted by 野崎挽生 at 2024年03月08日 22:36
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